2015年 07月 27日
薔薇「カズエ」
また悲しい飛行機墜落事故が起きてしまいましたね。
ご冥福をお祈り致します。
*墜落事故後世に伝える*
横浜市緑区に米軍偵察機が墜落、炎上する民家。(本社ヘリから。1977年9月27日)
「お兄ちゃん、助けて」――。土志田隆さん(66)の耳に、妹・和枝さん(当時26歳)のおびえた声が今も残る。病院に駆けつけた時、和枝さんは全身の8割に大やけどを負ってベッドに横たわっていた。すがるような目だった。1977年9月27日午後、厚木基地を飛び立った米軍ファントム機が離陸直後にエンジントラブルを起こし、横浜市緑区(現・青葉区)の住宅地に墜落。飛散したジェット燃料が和枝さん宅などを焼き尽くした。和枝さんの長男裕一郎ちゃん(3)と次男康弘ちゃん(1)が翌日死亡。和枝さんも4年4か月の闘病生活の末、呼吸困難で死亡した。このほか6人が重軽傷を負ったが、ファントム機のパイロット2人は機体からパラシュートで脱出して無事だった。原因究明は米軍主導で行われた。機体の部品は米軍によって回収され、パイロットは帰国。事故から2週間もしないうちに、米軍が火を噴いたエンジンを日本側に無断で米本土に送還するという一幕もあった。78年1月、日米合同委員会事故分科委員会は、事故原因を「エンジンのアフターバーナーの組み立て不良」とする調査結果をまとめたが、組み立てた部署は明らかにされず、だれも責任を問われなかった。業務上過失致死容疑で捜査していた横浜地検も「証拠が集まらなかった」としてパイロットらを不起訴とした。背景に「公務上の事故の第1次裁判権は米軍にある」とする日米地位協定の取り決めがある。この構図は今も変わりない。2004年に沖縄県の沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故でも、米軍は沖縄県警の現場検証要請を拒否している。
◇
横浜市中区の港の見える丘公園にある「愛の母子像」。30周年を迎え、和枝さんの遺影が飾られた(1月17日)
和枝さんの闘病生活は壮絶を極めた。細菌感染を防ぐための硝酸銀の薬浴は、皮膚をなくした体に激痛をもたらし、敗血症などで死線をさまよった。60回を超える皮膚移植手術の痛み。術後の呼吸困難のためのどを切開し、声を失った。「また(手術を)やるかと思うと気が狂いそうだ」。治療への恐怖を記した和枝さんのメモが、今も残る。そんな和枝さんを前に、親族は1年4か月間、子どもの死を告げられなかった。その間、病室の和枝さんは、不自由な体で、子どものために千羽鶴を折った。
◇
横浜市中区の港の見える丘公園に「愛の母子像」がある。子どもの死を知り、「もう一度、この胸に抱きたかった」と泣いた和枝さんのために、父・勇さん(2008年死去)が横浜市にかけ合って建てたものだ。像は今年、30周年を迎えた。
勇さんの知人で入院中の和枝さんを励まし続けた原田好仁さん(69)は「もう一つ、和枝さんの魂を伝えている場所があるんです」と話す。社会福祉法人「和枝福祉会」(横浜市緑区)だ。新聞などで和枝さんの苦境を知った多くの人が皮膚提供を申し出て、適合した80人以上の皮膚が移植された。見知らぬ人々の善意に和枝さんは「元気になったら恩返しをしたい」と願い続けた。その気持ちを受け継いだ勇さんが同会を設立。現在は知的障害者や高齢者、母子向け施設、保育所を備えた福祉拠点に成長した。闘病中に声を失った和枝さんの心の叫びを記した筆談記録も、ここに保管されている。
平和の願いバラに託し
NPO法人のむぎ地域教育 文化センター副理事長 樋口優子さん71 (横浜市青葉区)
「カズエ」というバラがあります。事故で亡くなった和枝さんを偲んで、父親の勇さんが専門家に新種開発を依頼してできたバラです。NPOで苗木を仕入れ、全国に普及させる活動を続けています。かつてNPOが運営していたフリースクールの生徒が、旅行しながら売り歩いたのが始まりです。宮城県から沖縄まで、1000株が育てられています。昨年暮れには、米軍機事故を目撃した横浜市青葉区の方が、「近所でも事故を知らない人が増えた」と、苗木を買いに来られ、由来を書いた標識を立てて育てています。バラに平和の使者になってほしい。「枯らすわけにはいかない」と思っています。
米軍機安全対策を改善
原因究明では大きな反発を招いた横浜米軍機墜落事故だったが、その後の安全対策では改善も見られた。海上自衛隊と在日米軍は事故翌年の1978年、厚木基地を離着陸する米軍機への航空管制を見直した。従来わずか2000フィート(約600メートル)だった米軍機の離陸後の飛行高度を、6000〜8000フィート(約1800〜2400メートル)に引き上げた。また、洋上の空母に向かっていた事故機が厚木基地を北向きに離陸した直後に右旋回して横浜市上空を飛行していたことから、住宅密集地の通過を最小限に抑える別ルートも新たに加えた。日米安保条約が発効した52年4月以降、県内の米軍機事故は墜落62件、不時着58件などがあるが、和枝さん親子が亡くなった事故後、住民が巻き添えとなって死傷する墜落事故は起きていない。(長原)
*墜落事故後世に伝える*
横浜市緑区に米軍偵察機が墜落、炎上する民家。(本社ヘリから。1977年9月27日)
「お兄ちゃん、助けて」――。土志田隆さん(66)の耳に、妹・和枝さん(当時26歳)のおびえた声が今も残る。病院に駆けつけた時、和枝さんは全身の8割に大やけどを負ってベッドに横たわっていた。すがるような目だった。1977年9月27日午後、厚木基地を飛び立った米軍ファントム機が離陸直後にエンジントラブルを起こし、横浜市緑区(現・青葉区)の住宅地に墜落。飛散したジェット燃料が和枝さん宅などを焼き尽くした。和枝さんの長男裕一郎ちゃん(3)と次男康弘ちゃん(1)が翌日死亡。和枝さんも4年4か月の闘病生活の末、呼吸困難で死亡した。このほか6人が重軽傷を負ったが、ファントム機のパイロット2人は機体からパラシュートで脱出して無事だった。原因究明は米軍主導で行われた。機体の部品は米軍によって回収され、パイロットは帰国。事故から2週間もしないうちに、米軍が火を噴いたエンジンを日本側に無断で米本土に送還するという一幕もあった。78年1月、日米合同委員会事故分科委員会は、事故原因を「エンジンのアフターバーナーの組み立て不良」とする調査結果をまとめたが、組み立てた部署は明らかにされず、だれも責任を問われなかった。業務上過失致死容疑で捜査していた横浜地検も「証拠が集まらなかった」としてパイロットらを不起訴とした。背景に「公務上の事故の第1次裁判権は米軍にある」とする日米地位協定の取り決めがある。この構図は今も変わりない。2004年に沖縄県の沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故でも、米軍は沖縄県警の現場検証要請を拒否している。
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横浜市中区の港の見える丘公園にある「愛の母子像」。30周年を迎え、和枝さんの遺影が飾られた(1月17日)
和枝さんの闘病生活は壮絶を極めた。細菌感染を防ぐための硝酸銀の薬浴は、皮膚をなくした体に激痛をもたらし、敗血症などで死線をさまよった。60回を超える皮膚移植手術の痛み。術後の呼吸困難のためのどを切開し、声を失った。「また(手術を)やるかと思うと気が狂いそうだ」。治療への恐怖を記した和枝さんのメモが、今も残る。そんな和枝さんを前に、親族は1年4か月間、子どもの死を告げられなかった。その間、病室の和枝さんは、不自由な体で、子どものために千羽鶴を折った。
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横浜市中区の港の見える丘公園に「愛の母子像」がある。子どもの死を知り、「もう一度、この胸に抱きたかった」と泣いた和枝さんのために、父・勇さん(2008年死去)が横浜市にかけ合って建てたものだ。像は今年、30周年を迎えた。
勇さんの知人で入院中の和枝さんを励まし続けた原田好仁さん(69)は「もう一つ、和枝さんの魂を伝えている場所があるんです」と話す。社会福祉法人「和枝福祉会」(横浜市緑区)だ。新聞などで和枝さんの苦境を知った多くの人が皮膚提供を申し出て、適合した80人以上の皮膚が移植された。見知らぬ人々の善意に和枝さんは「元気になったら恩返しをしたい」と願い続けた。その気持ちを受け継いだ勇さんが同会を設立。現在は知的障害者や高齢者、母子向け施設、保育所を備えた福祉拠点に成長した。闘病中に声を失った和枝さんの心の叫びを記した筆談記録も、ここに保管されている。
平和の願いバラに託し
NPO法人のむぎ地域教育 文化センター副理事長 樋口優子さん71 (横浜市青葉区)
「カズエ」というバラがあります。事故で亡くなった和枝さんを偲んで、父親の勇さんが専門家に新種開発を依頼してできたバラです。NPOで苗木を仕入れ、全国に普及させる活動を続けています。かつてNPOが運営していたフリースクールの生徒が、旅行しながら売り歩いたのが始まりです。宮城県から沖縄まで、1000株が育てられています。昨年暮れには、米軍機事故を目撃した横浜市青葉区の方が、「近所でも事故を知らない人が増えた」と、苗木を買いに来られ、由来を書いた標識を立てて育てています。バラに平和の使者になってほしい。「枯らすわけにはいかない」と思っています。
米軍機安全対策を改善
原因究明では大きな反発を招いた横浜米軍機墜落事故だったが、その後の安全対策では改善も見られた。海上自衛隊と在日米軍は事故翌年の1978年、厚木基地を離着陸する米軍機への航空管制を見直した。従来わずか2000フィート(約600メートル)だった米軍機の離陸後の飛行高度を、6000〜8000フィート(約1800〜2400メートル)に引き上げた。また、洋上の空母に向かっていた事故機が厚木基地を北向きに離陸した直後に右旋回して横浜市上空を飛行していたことから、住宅密集地の通過を最小限に抑える別ルートも新たに加えた。日米安保条約が発効した52年4月以降、県内の米軍機事故は墜落62件、不時着58件などがあるが、和枝さん親子が亡くなった事故後、住民が巻き添えとなって死傷する墜落事故は起きていない。(長原)
by jikansouko
| 2015-07-27 01:36
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